吾輩は猫である、坊ちゃん、こころ。
数々の作品を世に残した小説家・夏目漱石。この方が雑司が谷に眠っていることは、みなさんご存知ですか?今回は日本を代表する漱石のお話です。
夏目漱石はこんな人生を歩んだ
数多くの名作を残した明治から大正時代の小説家。小説を読まなない方は『夏目漱石』とは誰ぞ?となりますので、旧1000円札の中の人だと言えばピンとくるんではないでしょうか。
既にこの世を去ってから100年くらい経ちますが、漱石の人生は波乱万丈だった。
慶応3年、漱石は夏目家の末子として誕生。本名は「夏目 金之助」。高齢出産だった為か、母は漱石の出産を恥じたと言う。
1年後、塩原昌之助の養子となる。だが、昌之助の浮気が発覚し家庭不和に。家庭のごたごたはあったものの、順調に進学する。
月日は流れ、正岡子規との親交・帝国大学卒業・イギリス留学と漱石にとって重要な分岐点が訪れる。
大学講師もしていたが、明治40年に教職を辞職し朝日新聞社に入社。小説家としての道を歩み始めた。
だが明治43年6月から異変が始まる。
次回作「門」の執筆途中に胃潰瘍で入院。それから、胃潰瘍に5度も苦しんだ。大正5年には糖尿病と次々と病に悩まされる。
最後は自宅で大内出血を起こし死去。当時49歳だった。最後の言葉は「ここに水をかけてくれ、死ぬと困るから」であったという。
ちなみに芥川龍之介・久米正雄が弟子になったのは大正4年。ざっと生涯をまとめるとこんな感じです。
雑司が谷霊園で漱石のお墓参り
副都心線雑司が谷駅から徒歩10分。ケヤキ並木に囲まれている住宅地を進むと、雑司が谷霊園が見える。
ここは漱石作品の「こころ」にも登場する聖地。園内は東京の都心近くとは思えないほど静かだ。驚くことにジョギングしている人やペットの散歩をしている人も見かける。
この霊園には多くの著名人が眠っている。詩人「サトウハチロー」言語学者「金田一京助」日本初の女性ジャーナリスト「羽仁もと子」など。その為か、著名人のお墓探索マップも配布されている。今回は「夏目漱石」の御墓参りである。
お墓探索マップを見ながら歩くが、園内が広く迷子になりますね。弟子の芥川龍之介も「年末の一日」で迷ったと書かれてます。当時は地図もないから余計に迷うでしょうな。
道中迷子になった為、管理事務所に相談したりしてやっとたどり着く。
「夏目」と刻まれたお墓は大きかった
夏目漱石の墓は1-14号1側3番。目印としては、イチョウの木が目の前にある。墓の特徴としては、他と比べて大きく奇形である。
墓石には「文献院古道漱石居士」と刻まれている。これは漱石の戒名である。下部にもしっかりと名前が刻まれている。戦前は文字を右から左に読むのが主流な為「目夏」と書かれているが「夏目」が正解だ。決して間違いではない。
墓のデザインを制作したのは夏目鏡子(妻)の妹と婚約した建築家の鈴木禎次だ。奇抜だがとても立派な墓石だと私は思うが、漱石はこの墓をどう思っているのだろうか。今度、墓前で彼に聞いてみることにする。
今回訪れた場所
名前 | 雑司ヶ谷霊園 |
住所 | 〒171-0022 豊島区南池袋4-25-1 |
電話 | 03-3971-6868 |
時間 | 8:30-17:15 |
定休日 | 年末年始(霊園内は無休) |